掲載記録


2000 展評005号

 
展評

生々しい女の気配

 文●吉崎 元章
 Motoaki Yoshizaki

 札幌・芸術の森美術館学芸員

 薄暗い室内に浮かび上がる若い女性の裸体。胸が膨らみはじめたばかりの幼いながらも艶めかしい肉体。整然と左右対称に並ぶ配置。そこに満ちる怪しげな空気。来てはいけない空間に迷い込んだような錯覚。そう、数年前、初めて彼女の作品に札幌のギャラリーで出会ったときもそうであった。多様な作品を見てきたはずの自分にとって、いつもとは違う、もっと脳の深いところに働きかけてくる作品群に戸惑ったことを今でもはっきりと覚えている。これは何なのか?人形?彫刻とどこがちがうのか?
 色が塗ってあるから?眼がガラス球だから?髪が植毛されているから?生々しい女の気配と存在感は、私が知る限りの彫刻におけるそれではなく、霊魂とか、情念とかいうものを強く感じさせながら心の奥底に響いてくる。これが人形の持つ力なのか。人間が人のかたちをつくり出したのは、きっと人類の始まりとそう大きく違わないだろう。自分の分身、愛する人の代用、崇拝する者の姿など、愛憎や恐怖などの心の受け皿として、そして呪術的な力を秘めたものとして、ずっと人間の暮らしのなかで生き続けてきた。
 帯広を拠点に活動を続ける人形作家伽井丹彌。彼女の1990年から今年までの作品11点を紹介するこの展覧会は、十勝ゆかりの作家を紹介するシリーズの3回目として企画されたものである。近年、人形を現代美術の視点からとらえ直そうとする試みが盛んになっている。1990年の宮城県美術館での〈美術の国の人形たち〉展を筆頭に、O美術館での〈ひとがた・カラクリ・ロボット〉展(1996年)、そして現在巡回中の〈四谷シモン展〉など、美術館での人形展も目立ってきた。しかし、同じ人間を表現しながら、人形と彫刻がはっきりと区別されはじめたのはいつごろからなのだろうか。彩色や玉眼は古代彫刻では決して珍しいことではないし、「彫刻」という言葉自体が一般に使われだしたのも明治9年の工部美術学校からのことである。量塊や動勢などの純粋な造形要素を重視し、説明的な着色や異素材の混入を拒絶しながら突き進んできた近代彫刻においては、いつしか人形を蔑視する風潮さえ生んできたのも事実だろう。しかし、人間の心の宿りとして受け継がれてきた人形もその表現の幅を広げ、また美術の表現が多様化し領域が拡大していくなかで、両者の境界が曖昧になり、分類することが無意味にさえ感じられるようになってきた。
 伽井が人形作家の道に進むおおきなきっかけとなったのは、ハンス・ベルメールの画集との出会いであった。かつて四谷シモンもベルメールの関節人形を古雑誌の写真に見てその後の作風が決定づけられたというが、伽井はそれを機に上京し四谷シモンが主宰する「エコール・ド・シモン」に半年間在籍、人形制作の基礎を学んだのち、帯広で独学で制作を続けてきた。伽井の人形は木粉を固める桐塑によるパーツと球体関節を用いるオーソドックスな技法によりつくられる。1.2mほどの作品1体制作するのに半年以上を要するという。丹念に磨き上げられ、色づけされ、植毛される。あるものは指一本一本までが可動するように関節がつけられている。そこに伽井の作品への計り知れない愛着と慈しみが集積され、自己が投影されていく。
 白い肌から透けるように描かれた青い血管が肉感を増し、半開きの唇から覗く小さな歯が観る者を引き込む。そして、性器ー陰唇までしっかりとつくられている…。人体にはないはずの球体関節や、各パーツの継ぎ目が異質な感じをまったく与えず、それどころか逆に球体関節の縦溝がもっともエロチックにすら感じられる。ある部分は執拗なまでに克明に描写され、ある部分は大きくデフォルメされながら、生身の人間以上のエロスを生む。見るからに自分の思い通りに動かせそうな関節は、さらに想像力を豊かに働かせる作用があるようだ。人形は、作り手の意志以上に、それを観る者の心を映し出す受け皿として、それぞれの心に委ねられている。
 いずれは老い、死する人間を横目に、いつまでもその美貌を保ち続けることを謳歌しているような人形たち。人形らしく、人形としての存在感を持ち、独自の世界に遊ぶ者。私は、これまで創作人形にはほとんど触れる機会がなかったため、驚きを込めてこの稿を書いたが、その後人形の情報誌『DOLL FORUM JAPAN』などで日本でも他に多くの作家がそれぞれの独自の表現を展開していることを知った。また、一般にフィギュアと呼ばれている造形の怪しい世界観とその可能性にも興味をかき立てられる。人形と美術の関係。サブカルチャーとも結びつくこの世界は今後目を離せないことだろう。


Artscape



BACK


inserted by FC2 system